ひとりね

ひとりで寝る夜に書く日記のようなものです。

鈍感になるということ

この前、SNSに自分の所属組織への貶し(のようなもの)が書き込まれていた。それを見た瞬間吐き気を催した(吐かなかったけれど)。

 

一応その組織のトップにいて、めちゃくちゃ責任を感じた。私のせいだなあと思った。私の仕事ではないけれど私のせいだなあと思った。

 

こういうことがよくある。自分はなにも悪くなくても同じ空間にいる人が叱られていたら私も叱られているような気持ちになる。苦しいので人前で誰かを叱るのやめてほしい、というのはただの要望だけれど。

 

あと、痛そうな傷を見ると自分も痛くなる。ぞわとする。友達に聞いたらそんなことにはならないらしいです。本当に?

 

多分自分は共感しすぎる。感じすぎるところがある。そして鈍感な部分もある。極端なのだと思う。

 

共感しすぎる人は鈍感になりたいと願うし、鈍感すぎる人は繊細になりたいと思うのだろう。

 

......

 

中学の恩師に、「そうめんさんは鈍感になったほうがいいよ」と言われた。中学生になんてむごいことを言うんだろうなと今は思う。

 

でもどんなに辛くても共感できる人でいたいな。人に寄り添っていたい。鈍感で幸せになるより敏感で不幸なほうが良い。そう思いませんか。